パタヤにやって来た僕は、2日続けてウォーキングストリートの調査を敢行。
海辺の街で、どこまでも怠惰な休日を満喫していたのでした……。
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はじめての海外ひとり旅(20)風に吹かれて(BLOWIN’ IN THE WIND)
のんびりした朝を過ごし、昼間はパタヤの街を散策し、夜は歓楽街を調査する……。
そんなパタヤを満喫する休日は、その後も数日間続きました。
どこまでもお気楽で、怠惰な時間です。
それは、もちろんとても楽しいのですが、同時に、どこかひどく退屈な時間でもあるような気がしていました……。
けれど、そうしたアンビバレントな状態こそが、我々に「パタヤは楽園だ」という感慨を抱かせる要因なのかもしれません。
パタヤという楽園
パタヤは、けっして大きな街ではありません。
街のいたる場所にバービアがあり、昼間から酒を飲み、女の子たちと笑い合い、つかの間の邂逅を楽しむ……。
そうしていると、時間はいつの間にか流れていくのです。
とんでもなく怠惰で、退廃的でもあるそうした時間が、ビーチに打ち寄せる波のように、ただただ繰り返されていくのです。
次の日も、またその次の日も……。
もはや、調査報告など意味がないのかもしれません。
もしあなたが興味を抱いたなら、パタヤに行けばいいのです。
あひる師匠が言うとおり、たしかにパタヤは楽園でした。
健全かと思ったマッサージ店ですら、お店のマッサージ嬢を連れ出すことができ、
ソイ6では、バービアという名の置屋が数知れず軒を並べ、
世界屈指の歓楽街ウォーキングストリートでは、無数の男女が入り乱れ、ひとたびゴーゴーバーに入れば、裸の女たちが踊りながら笑顔で迎え入れてくれ、
海風が心地よいビーチロードを歩けば、その暗がりには、立ちんぼと呼ばれる無数の女たちが静かに手招きしている……。
男も女も、そこに一瞬の夢を抱きながら微笑みを交わし合うのです。
そんなパタヤには、ハマって抜け出せなくなる人々が大勢います。
それは、「パタヤ病」と明るい調子で揶揄されたり、「沈没」と蔑まれたり……。
「沈没ファラン」と呼ばれる欧米人の元軍人らしき年老いた男が、夜な夜なビーチロードを徘徊しています。
ウォーキングストリートに向かっているのでしょうか?
視線の定まらぬその様は、まるで幽霊のようです。
彼らは、どうしてこのパタヤに沈没することになったのでしょうか?
かつての戦争がこの街を作ったように、彼らもまた、戦争の犠牲者と言えるのでしょうか?
そして、それをどこか高見から眺めている、この、右肩下がりの日本に生きる僕は、いったいどうしてこの街に居心地の良さを感じているのでしょうか?
そうして、パタヤ滞在中のある日の夕方、僕は徒然にビーチロードを歩いていました。
体に感じるのは、心地よい疲労と汗。
その体を、気持ちいい海風が撫でてくれます。
青い海に、陽が沈んでいきます。
その光景を眺めているうちに、さまざまな想いが浮かんでは消えていきます。
かつて、この場所から、多くの米軍兵たちがベトナムへ向かったのでしょう。
そして、アメリカはいまもまた世界のどこかで戦争をはじめようとしています。
けっして、遠い昔の、自分と関係ない物語ではなく、いまここと繋がっている歴史です。
いま、このパタヤには、無数の男たち女たちがいて、毎夜、酒と金と性と、さまざまなドラマが生まれています。
それは、まさにいま、このブログを書いている瞬間も……。
楽園という名にふさわしいこのパタヤという街で、僕はなぜか途方もない寂寞感を感じつつ、同時に、これこそが自由の証であり、パタヤの楽園たる所以なのだとあらためて感じていたのでした……。
世界中から多くの人々がこの街にやって来て、男も、女も、LGBTQも、誰もが性を買い、性を売り、そうして、さまざまな事情を抱えながら、生きているのでしょう。
ふと、古い歌が脳裏に浮かびます。
BLOWIN’ IN THE WIND♪
ボブ・ディランが歌っていました。
答えは風に吹かれている……。
BLOWIN’ IN THE WIND……。
アメリカと、戦争と、生と死と、慰安婦と、金と……。
そんな、青くさい戯れのような想いに浸りながら、僕はいつまでも海辺の光景を眺めていたのでした……。
そして、その夜も美味しいタイ料理でお腹を満たし、まるで幽霊のように、ウォーキングストリートに向かったです。
きっと、答えは風に吹かれている。
そう呟きながら……。
そうして、その数日後、ついに僕は日本へ帰国する日を迎えたのでした……。
(つづく)
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